三重県内の松阪市を中心とした旧22市町村で肥育され、黒毛和種、未経産(子牛を産んでいない)の雌牛で、松阪牛個体識別管理システム(生産から出荷まで管理するシステム)に登録し、その条件を満たした牛を『松阪牛』といいます。特に飯南地域から伊勢湾に流れる櫛田川流域は、肥育の盛んな地域です。
松阪牛は但馬地方(兵庫県)より、生後7ヶ月から8ヶ月ほどの選び抜いた子牛を、約3年間、農家の手で一頭一頭手塩にかけて育てます。この肥育の中でも、角の形を整える工夫のほか、マッサージや放牧など、他ではみられない方法をとっています。
昭和30年代、農家は牛を農耕用(役牛)として利用していました。松阪地方では、古来より役牛として優秀な但馬(兵庫県)生まれで、紀州(和歌山県)で 1年を過ごした雌牛を好んで購入したといわれています。牛は農耕用として3~4年が過ぎると次第に太り、「太牛」と呼ばれるものに仕上がり、肉牛として売り出されていました。その後、農家や関係者の努力により、松阪地方の牛は次第に名を高めていきました。
松阪市飯南町深野には「松阪牛発祥地」の石碑が建っています。この地域はかつて、農家のほとんどが農作業の為に牛を飼っており、車が運転できる道がふもとから上になかったため、自動車の代わりとして牛が重い荷車を引いて細い道を登っていました。石碑からは松阪牛の歴史を支えてきた自負がうかがえます。
平成13年、国内ではじめてBSE(牛海綿状脳症)感染牛が見つかり、以降他産地の牛に比べて信頼の厚い松阪牛の需要が増加し、松阪牛の偽装事件が続発しました。
そこで三重県松阪食肉公社では、松阪牛の生産地域を明確にした上で、消費者が店頭で買う精肉パックからその牛の生産履歴がわかる個体識別管理システムを平成14年8月19日に導入しました。
このシステムは、家畜個体識別システムにより装着された重複することのない生涯唯一の10桁の耳標番号を活用して、松阪牛を識別・管理する一連の仕組みのことをいいます。これにより肥育農家から消費者の手に届くまで管理を一元化し、また三重県松阪食肉公社が発行する松阪牛シール・証明書により、消費者へ松阪牛(肉)の生産情報を開示しています。
松阪牛シールに掲載されている10桁の耳標番号を三重県松阪食肉公社ホームページの該当箇所に入力し検索すると、松阪牛の個体情報、肥育農家情報、畜・出荷情報をご覧いただけます。
詳しくは、株式会社三重県松阪食肉公社ホームページをご覧下さい。
毎年11月下旬、松阪市内で松阪肉牛共進会が開かれています。
昭和24年から始まった共進会は、回を重ねるごとに農家の肥育技術の向上と相まって、立派な肉牛が出品されるようになりました。この大会では、肉付き・毛並み・角の形などについて審査が行われます。
共進会後の競り市では、毎年高値で落札されており、優秀賞一席になった牛の値段は毎年話題になります。
今日、松阪肉は「肉の芸術品」と称せられ、その名声は国内は言うに及ばず、遠く海外まで広がっています。